2005年10月10日

学年について(学年経営)  濱中正男先生から

 「生徒の能力を限りなく伸ばそう。自分の専門や得意な分野を基に、生徒のためになることは遠慮なく実行しよう」との考えで、先生方は学級間で競い合っていました。ですから、学年の特色や学級のカラーが今より強く出たのだと思います。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。
posted by フラスコ会 at 23:38| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 濱中先生からD 学年について(学年経営) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
子どもの資質、親の高い意識、良い先生、この三要素がそろって初めて質の高い教育が成り立つと思います。

親が学力面の向上を意識しすぎるという落とし穴はあるものの、昔の附属は、一応この三要素がそろったところからスタートしていたと思います。

そういった意味で、先生方はある意味学級経営がやりやすかったのでは、とも思います。

教育実習が長期にわたるため、遅れた授業を短期間に取り戻せる、物わかりのよい子を入学させる必要があった、わけなのですが、実際には先生方にしてみれば「この子たちを使ってもっと難しいことをさせてみよう」という衝動に駆られたにちがいありません。

また、高度なことを成し遂げるには、それなりの集中力や根性が必要なわけですから、タマさんなどは皆にカツを入れる「嫌われ頑固オヤジ役」を敢えて買って出ていたのかもしれません。

ただ、「地震 雷 火事 親父」なんていう言葉が死語ではなかった時代でしたから、タマさんがその役を買って出なくても、それなりに、緊張感はあったようにも思いますが。小学校の頃から、当たり前のように整列するときはビシッとそろってましたから。

俺のやり方が通用するのも君たちの代が最後だ、とおっしゃっていましたが、まさに、そのあたりから頑固ジジイも頑固オヤジも減り、優しい時代へと移り変わってきました。

優しさと甘さをはき違えないようにしなくては、と思います。

Posted by マキ at 2006年01月17日 15:54
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