そのよい例が2年D組で「鶏が先か卵が先か」のクラス討議を道徳として2時間連続でしました。これは道徳の内容外であり、2時間もかけるのは非常識です。当時は「ディベート」の語も市民権を得ていませんでした。しかし、見事に全員が大変夢中になり、論理的で質の高い討議になり、満足感に満ちていました。終了後も生物の先生に質問に行き、クラス新聞に記述しています。つまり、完全に自分たちの問題として、全力で集中して取り組んだところに価値があるのです。
そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。