思い出すのは、中庸先生の授業。
はっきり言って、ついこの間までは、あの中庸先生の授業がすごい、
とは思っていなかった。
でも、一般動詞とbe動詞の区別が付いていない中1に復習させるとき、
思い出すのは、pictureをバンバン指しながらの、「negative」とか
の言い換え。
英語が身に付かなかったのは、先生のせいではなく、自分の勉強不足。
これも、十分分かっていたのですが、学習方法だけはちゃんと身に付いていたのですね。
そう、子どもに中学受験させるのに、随分役立ちましたから。
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TOEFLで良い点をとってもとてもアメリカの日常生活をこなせるレベルには程遠いのが現実で、カリフォルニア大学の大学院時代は授業についていけずにとても苦労しました。
いまでは自分が博士課程の院生相手に英語を教える立場にまでなりましたが、英語教育は本当に難しいです。国際会議に出席しても通訳を使っているのは日本人ばかり。なぜなのでしょう。
中学で学んだ文法の授業は英語教育の基礎だと思います。いまだに文法の教科書は手元に置いてあります。でもそれだけではやっぱり不十分。国語教育と同じで「子供向け」教材だけを使っていたのではいつまでたっても大人の国語の勉強にはならないと痛感しています。リーダーの教材が、イギリスやアメリカの短編集だったのは、今思えば適切だった。もしあの時、本場の英字新聞やTime,News Weekのような雑誌もリーダーに入っていたら、きっと私の英文アレルギーは緩和されていたかも?