附属小の役割は教育のあるべき姿の理想をいかに実践させるかなのかもしれませんが、公立のように様々な家庭環境におかれた子供達を指導している先生方の生活指導面での模範になれていたとは考えにくいです。
高校に入って外部から来た友人に言われました。「思うことがはっきり主張できてうらやましい。今までの私は周りに気を使い言葉を選び、場合によってはその言葉を飲み込まないとやっていけなかった。」と。
私も子供達には、自分の意見を主張できることが素晴らしいことだと言ってきましたが、公立に通っていた二人は、「お母さんの言うとおりにすると、失敗することもあるよ。もう、言うとおりにはしない。」と言われました。正論でも、1人だけ孤立する覚悟をしても言うことなのか判断をし、場合によっては根回しが必要であり、不要な波風は立てないのが鉄則のようです。私だけが脳天気だったのかもしれませんが、何でもいえる附属の雰囲気・他人の言うとおりただ動くのではなく、自分で考える姿勢・ことさら言われなくても個人を尊重する土壌、これらは、同じ生活レベルの子供達が集まっていたからこそ受け入れらるモノだったのではないでしょうか?そのような子供達を集めての教育は公立に比べれば、格段にやりやすいと思われます。生活指導はしなくてもほとんど大丈夫だから。
本来生活面は親が見るモノで、教育は学習面だけのことを指すのでしょうか?学校は勉学の他に、やはり人とのコミュニケーションを学ぶ場だと思います。学習指導要綱はあっても、生活指導要綱って無いのでしょうか?
学校にだけそれを押しつける気は毛頭ないし、子供達を取り巻く周囲の大人がしっかりかかわるべきだと思いますが、一日のうちの多くの時間を学校で過ごす子供達への先生の影響はとても大きいと思います。附属の役割は、その先生の卵をしっかり育てるところだと私は今まで思ってきました。だから、教育実習がたくさんあるんだと。先生の通信簿もそのうちできるようになり、自分の指導方法を見直す研修会も開かれると聞きます。若くても頼りになる先生がそれぞれの自信と誇りを持ち、たくさん活躍して下さることを心から願います。
Posted by 吉村 典子
感動したゾ。
やっとこのブログの目的が果たされてきたようで!!!。
みんな投稿してね。