2005年07月20日

濱中先生

濱中先生・・・
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posted by フラスコ会 at 19:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 濱中先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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附属校としての役割って?

公立校のモデル校としての注目度が大だった私たちの頃に比べ、今の附属校の実態はどうなのでしょうか?

ほとんどの私学は中高一貫になり、公立もその動きが出始めている昨今、旧態依然としている附属校。

(予算のことなど、ネックがあるんでしょうね。広大な大学の敷地内に附属高校ができ、小金井は中高一貫が始まる、というウワサが何度も立ちましたが(^_^;))

時代をリードし、教育の先端を突き進んでいた勢いはどうしてしまったのだろう??
あの自信と誇りはどこへ行ってしまったのだろう??

時代が変わり、価値観や生き方が変われば教育も変わっていかなくてはならないものと思います。

犯罪の低年齢化や、公立校の学級崩壊や非行。これらの問題は教育の場である学校の先生の協力を抜きにして解決できるとは思えません。

そのようなことは家庭での躾の問題だ、という声がたくさん聞こえてきそうですが、もちろんそうです。

ただ、社会そのものがさまざまな問題を抱え、大人も迷い、教師も迷う、といった混沌とした状況下で感受性の強い時期を過ごしている子どもたち。

心理学の世界では、感受性の強い人間にそのしわ寄せが行く、という考え方があると聞きました。

・・・なんて、これでは身も蓋もない希望のない話しになってしまいますが、私の考え方は逆で、優秀な人間を育てることを一つの柱とすると、いわゆるはみ出てしまった子どもたちを育てる教育がもう一つ、柱として欲しい、ということです。

きちんと授業を理解し、校則に従い、友達ともトラブルを起こさない子どもたち。

一方で、授業は聞かない、校則は破る、ケンカ大好き、またはいじめ、不登校、無気力、非現実への逃避。

後者の子どもたちは常に学校から厄介者扱いされ、レッテルを貼られてしまう。

ついてこられない生徒に構っている暇はない、甘ったれているんじゃない、、と言ってしまってよいのかな、と思います。

このタイプの生徒の指導教育ほど、逆に高度なテクニックと情熱を要すると思うのです。

教育の最先端を担うべき「先生を育てる学校」の「附属校」には「不良集団クラス」なんていうのが1クラスぐらいあってもいいんじゃないか、なんて思うわけです。

濱中先生、どうでしょうか??
Posted by マキ at 2005年08月03日 20:18
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