2005年10月31日

50歳記念本を出そうとしています。ご協力ください。

10月30日(日)、渋谷にて、濱中先生にもご参加いただき、第二回編集委員会が開かれました。

参加者:濱中先生、樹林、牧村、佐藤(真)、富樫、佐藤(典)、鴨下、高木(繁)、四ッ谷、高村
(二次会からの参加者:八木、広瀬(美))

この会での話し合いをもとに、下記のような案内を、同期で住所の分かっている人に往復はがき(またはメール)で出して、本を作ることについての協力をお願いすることにしました。
 
濱中先生のお言葉をきっかけに、50歳記念本を制作することになりました。
具体的作業として、
原稿の作成、アンケートへの回答、写真提供等を考えております。
つきましては、何らかの形でご協力いただける方は、
次の方法でその旨ご連絡くださいますよう、お願い致します。
返信ハガキによる返信・ブログへの書き込み:高村
メールによる原稿の送付:牧村
FAXによる原稿の送付の場合:樹林
郵送による原稿の送付:高村
なお、皆様の住所、電話番号、メールアドレスについては、個人情報として当同窓会記念本制作乃至、同窓会呼びかけの目的以外には一切使用致しません。


みなさまのいっそうのご協力をお願いします。
また、11月中に、葉書でも、メールでも連絡がこなかった方は、恐れ入りますが、コメントをつけてくださるか、小金井中の同期の誰かを経由して、牧村さん、高村まで連絡いただければ、助かります。
posted by フラスコ会 at 23:38| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

授業について〜濱中先生から

 私は授業で生徒をどこまでも伸ばせるものと思いこみ、若さに任せて、生徒と一体になって授業に取り組んでいました。今考えてみると、長い間このような授業をしてきたのは生徒に知的好奇心を身につけてもらいたいからでした。毎日変わる様々な学習内容に「この内容はどうしてこうなるのかな?納得できるまで調べてみよう!」という知的好奇心を抱いてもらいたかったのです。
 そのために、ほぼ毎週実験をして継続実験の希望者(毎回数班は希望した)には放課後も第3理科室を開放し、テレビの天気情報を見・新聞の天気図を集め・天気図書きをし、牛乳や味噌汁は水溶液か?を考えて解決し、ペーパークロマトグラフィーでサインペンのインキを分け、食塩は食べられるエンであることを学び、探究カードをかきました。
 卒業後、高校理科で実験とレポートは他の中学校出身者より良くできた、とのうれしい便りをたびたび受けました。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。
posted by フラスコ会 at 15:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 濱中先生からF 授業について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

卒業式について〜濱中先生から

 厳粛な雰囲気のもとで、生徒・父母・教師が一堂に会して、3年間の学習・教育の成果を祝し、別れを惜しみ、将来の発展を願う場が卒業式なり、との伝統がありました。
イベント的な卒業式をしている学校も少なからずある中で、あえてこの伝統を守ったことにより他校では見られない成果を上げてきました。毛筆の送辞・答辞(現在も保存してあるはず)の内容や表現の質の高いこと、卒業生全員が緊張のうえにも丁寧な態度で証書を受け取ること、退場ではほとんどの卒業生が涙していることを見てもその成果がわかることでしょう。
 ところで、式の音楽に趣向が凝らされていたのを気付いていましたか?入場の時はJSバッハの「主よ人の望み・・・」(その前はヘンデルの「ラールゴ」)、証書授与はJBバッハの「ブランデルブルク協奏曲」、合唱はベートーベンの「歓喜の歌」(卒業生作詞)、退場はベートーベンの「ピアノ協奏曲皇帝」でした。
これらからもわかるように、入場から証書授与までは上述の厳粛さを支えるものであり、その後は卒業の喜びを力強く表し、最後は一転して華々しく将来に向かって歩むとの構成でした。また、退場では、曲の冒頭の輝かしさを会場に響かせた後、カデンツァーの切れ目で最前列のD組の女子が一斉に起立し、在校生・父母・教師の盛大な拍手に送られて体育館を出るとの構成でした。
以上の光景を昨日のことのように記憶しているのは曲は音楽の先生と相談して決め、退場の規律は私の発案で決まったもので、少なくとも私の退職までは継続していたからかもしれません。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。
posted by フラスコ会 at 15:41| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 濱中先生からE 卒業式について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月10日

濱中先生から「お題」をいただきました

みなさま、いかがお過ごしですか。

ご多忙の濱中先生から、本を作るに当たっての、「お題」をいただきました。
この「お題」にコメントしていただいても結構ですし、
今までにフータンが作ってくれたカテゴリにコメントしていただいても結構です。

また、コメントは真面目な文章でも、そうでない短文でも結構です。

多くの方から、コメントをいただけたら、嬉しいです。
私としては、50歳記念くらいに、本ができたらいいな、と思っています。
よろしくお願いします。
posted by フラスコ会 at 23:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

学年について(学年経営)  濱中正男先生から

 「生徒の能力を限りなく伸ばそう。自分の専門や得意な分野を基に、生徒のためになることは遠慮なく実行しよう」との考えで、先生方は学級間で競い合っていました。ですから、学年の特色や学級のカラーが今より強く出たのだと思います。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。
posted by フラスコ会 at 23:38| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 濱中先生からD 学年について(学年経営) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

修学旅行について  濱中正男先生から

 毎学年異なる場所で異なる内容で実施する、教科の学習に絞り事前事後の学習もしっかり行い、単なる観光の場は設けない、というのが学校の長い伝統でした。今ではこのような修学旅行をしている中学校は希でしょう。こうして、教室での学習成果が校外の自然・文化をよりよく理解する基になることを実地に教えたのです。生徒もこれに応えて、自然の規則性を発見したり、伝統文化を良く理解したりしました。
このころ集めた岩石や美術書を今も保存している人、これを機に自然や文化に関心を寄せるようになった人も在ることでしょう。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。

posted by フラスコ会 at 23:34| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 濱中先生からC 修学旅行について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

父母と教師の関係について  濱中正男先生から

 あのころは「お母様方に育てられた」と今でも私は思っています。個人面談以外の場も多くあり、お母さん一人あたり平均1時間くらいは話をしていたので、お互いの理解の度合いが密だったのです。そのような場を通して「これだけの支援が在れば何でも出来る」との感触を私は得ていました。その結果のよい例が、学活の時間に屋上で「だるまさんが転んだ」をしたいとの要望を平気で許可し、怪我人を出してしまい、これはまずいことをしたと思いましたが、特に問題視されることなくてすみました。今では、管理職の立場から見ると、とんでもない学級担任ということになり、家庭に謝罪にゆくことはもちろん、場合によってはマスコミで学校事故として伝えられかねないことです。ところが、怪我人の母親は「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」といい、学校側をせめるどころかわびる気持ちを持っていたのです。本当に有り難いと感謝すると同時に、このような父母の支援に応えなければいけないと痛感し、学級や教科への指導に一層努力するようになりました。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。

posted by フラスコ会 at 23:31| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 濱中先生からB 父母と教師の関係について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

学級について(学級経営)  濱中正男先生から

 私はあのころ「生徒はみな何らかの高い能力を持っている」と考えていたし、「とにかく生徒にやりたいことをやらせて、どこまで能力を発揮するか見てみよう」と思っていました。それは教科の学力だけでなく、アイデアに富む、行動力がある、価値志向がある、芸術的感覚が鋭い等の広い意味での能力です。その能力を伸ばすためならば、周囲のこと(例えば学習指導要領内かどうか)は気にしないで実施していました。
そのよい例が2年D組で「鶏が先か卵が先か」のクラス討議を道徳として2時間連続でしました。これは道徳の内容外であり、2時間もかけるのは非常識です。当時は「ディベート」の語も市民権を得ていませんでした。しかし、見事に全員が大変夢中になり、論理的で質の高い討議になり、満足感に満ちていました。終了後も生物の先生に質問に行き、クラス新聞に記述しています。つまり、完全に自分たちの問題として、全力で集中して取り組んだところに価値があるのです。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。
posted by フラスコ会 at 23:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 濱中先生から@ 学級について(学級経営) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

合唱コンクール  濱中正男先生から

「音楽の先生が許してくれないのです!」と合唱の責任者が訴えてきました。音楽鑑賞歴の長い経験から曲を聴くことには多少自信のあった私は「どれ、その曲を聴かせて」とテープで初めて聴いて良い曲であると納得したので「これなら歌った方がよいね」と生徒と意見が一致しました。結局この曲で第1回の記念すべき合唱コンクールでの優勝学級となり大いに盛り上がりました。これが上村の子守歌であり、今考えてみても生徒の音楽感覚は素晴らしく、希望曲は間違いでなかったと思います。
 そういえば、あのときこうだった。今考えてみるとあのことはこう解釈できる。我が子の場合と比べるとこうだった。・・・との文を寄せてください。

 
posted by フラスコ会 at 23:16| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 濱中先生からA 合唱コンクールについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月02日

濱中先生の言葉・・・テンコから

私が記憶にある事は、「経験がなければうまくいかない」と何かの拍子で私が発言したとき、確か授業中ではなく、何か他の活動をしているときに言ったのだと思いますが、浜中先生に「経験が無くても、色々考えることはできるのだから、成功に近づくことはできる。想像力を働かせなくてはいけない。」と言われたことかな?

「経験ばかりが全てではない」とそれからしっかり頭に入ったので、度重なる新しいことに対処するときにも、不安が軽減したように思います。

二千六先生の言葉・・・カスミから

私は、二千六先生の話です。

最初の授業だと思うけど、
「君たちには、今、白いラベルが付いている。
そこにどんな文字を書くか、どんな色をつけるか、
君たち自身が描いていくんだよ。」というようなこと。

「小学校時代の評価とかやってきたこととか、
仕切りなおしで、中学校生活が始まる。
自分がどう関わっていくかで変えられるんだ。」とも。

すごーく単純に受け取ってしまったと思うけど、
お話を聞いて、前向きな気持ちになれました。

何か新しいことが始まる時には思い出すし、
その話を聞いたときの心の状態、感動は忘れられない。
ずっと、私の身体の中にある。

「思い出の言葉」を記事カテゴリに追加

テンコからの提案で、「思い出の言葉」を追加しました。

先生から、友人から、先輩や後輩から言われた言葉で、思い出に残るもの。
その後の自分に影響を与えたものなどを、投稿していただけたら嬉しいです。

コメントをクリックして、コメントをつけていただけたら、管理人コームが「投稿」の形で記事にします。
よろしくお願いします。
posted by フラスコ会 at 08:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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